化学物質から勤労者を守る産業中毒センターの活動報告

 「中毒」と聞いて何を思い浮かべるでしょうか
 「食中毒」、「アルコール中毒」をはじめ、古くはカドミウム中毒やヒ素ミルク事件、最近ではO-157の流行など、中毒に関わる事件・事故はその時々に大きく報道されています。
 あまり報道されることはありませんが、職場で化学物質を扱っていて健康不安や体調不良に悩む人が少なくないことはご存じでしょうか。実は、こうした化学物資による健康障害も中毒であり、「産業中毒」と呼ばれています。
 産業現場では、多種類の薬品や有機溶剤が大量に使われているほか、微量でも有害な薬品も使用されています。それらは、呼吸や皮膚から吸収されることが多く、汚れた手による飲食、喫煙などで口から摂取されることもあります。
そして、化学物質の中には、取扱いや保管方法などを誤れば急性や慢性の健康障害を引き起こしたり、あるいは取り返しのつかないことになるものもあります。
 このような「産業中毒」にいち早く注目し、産業中毒の相談や診療、情報提供に対応しているのが、羽田空港にほど近い東京都大田区大森にある東京労災病院・産業中毒センターです。
同センターに寄せられるさまざまな相談例について「産業中毒の今」を、労働衛生コンサルタントでもある東京労災病院 産業中毒センター長の坂井 公(ただし)氏に解説していただきました(図1は問い合わせ機関、図2はその対象化学物質を示します)。

問い合わせ機関の内訳 相談対象化学物質の内訳

1 作業者や家族からの相談
(1) 最近、体調が悪いが仕事のせいではないだろうか
(2) 仕事場で使っているものが変わってから身体の具合がよくない
(3) 危ないものを使っているようで心配
といった悩みを持つ人が少なくありません。
大きな事業場ですと、身近に産業医の先生がいて、いろいろ親切に声をかけてくれるので、このような相談もしやすいのですが、少人数の事業場では、相談する相手がいないのが実情です(図1)。

(4) 仕事場の責任者に聞いても、「親会社の言うとおりにやっているだけで、大丈夫と思う」とか「何だかよく分からない」と言うだけ。
(5) 具合が悪くなって医療機関に行っても原因が分からないので、あちこちの病院を回っているがよくならない。
こういう相談を産業中毒センターでは多く受けています。
最近の相談例を紹介します。

ケース1 有機溶剤  頭痛、気分が悪い、階段昇降不能
平成11年6月から10月中旬まで、従業員5人の印刷工場で色校正の仕事に従事していた人のケース。

9月末から階段昇降不能となり、3名が某大学病院に入院した。初めはギランバレー症候群(難病の一種で、手足に力が入らなくなる)とされ、その後ヘキサン中毒と診断された。その工場はその後、設備を改善し、現在は違う溶剤を使用している。現在も症状が思うように改善しないので、何か治療法はないだろうか

との相談がありました。
これに対して「神経症状は急速には改善しない」ことを説明し、ヘキサン中毒に詳しい大学の先生を紹介しました。

他に、労働安全衛生法に規定された有機溶剤で

①ベンゼン・トルエン・キシレンなどを使用し、頭痛・気分が悪い
②14年間アセトンを使用してきたが体調がよくない
③メチルエチルケトンを使用していて、目の刺激を強く感ずる
④ジクロルメタンを使用していて、健康診断で肝障害といわれた

などの電話相談を経て、当センターに受診される人が多い。
受信時も作業で有機溶剤を使用している場合は、作業の前後の尿を持参していただいて検査しています。ばく露量が許容濃度以下と推定され、症状との直接の因果関係がはっきりしない例も多いので、今後このようなデータが蓄積されていくことで、個人差による感受性の高い人が発症する症状(化学物質過敏症)なども明らかになるものと考えられます。

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ケース2 特定化学物質  頭痛、吐き気、意識の薄れる状態
平成11年3月頃よりアクリロニトリル(労働安全衛生法により規定された特定化学物質の一つ)を運搬する作業に従事した人のケース。

4月30日に車で運搬中、瓶が破損して車内でアクリロニトリルにばく露し、頭痛、吐き気、意識の薄れていく状態となった。その後、頭痛、ふらつき、手のしびれ、無臭、眼瞼の水泡などの症状が続いた。6月にも数回同物質の運搬作業に従事するが、同様症状が激しくなり、2,3の病院でみてもらうが、異常なしと診断されている

と7月下旬に本人から相談があり、当センターに受診されました。
本人の自覚症状から、アクリロニトリル中毒の初期症状と思われましたが、事故直後や作業が継続している時の受診でないため、血液中のアクリロニトリルのばく露量を評価できず、判断できませんでした。

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ケース3 粉じん   気分が悪い、吐き気
研磨に伴う粉塵のケースで、

都内の橋梁のサンダー作業で発生する粉じんやヒューム(金属ガス)を吸い、気分が悪くなる。この粉塵は非常に悪臭が強く、PCB(ポリ塩化ビフェニル)も含まれると聞く。10数人で作業していたが皆気分が悪く、吐き気がしていた。昨年2~4月に作業していたが、それ以来体調がよくない。吐き気の後に、咳、しびれ、めまい、かゆみが今でも続く。同僚4人の受診を希望する

と連絡があり、近日中に受診することとなりました。
連絡のあった際に、①今後、作業する場合には保護具を使用すること、②受診時に粉じんなどを集めて持参すればばく露物質の検査も可能なこと、を説明しました。

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2 企業の産業保健スタッフからの相談
工場内の診療所の産業医、保健婦の方々から、従業員の症状と作業との因果関係について相談されることも多い。 
具体的には、①危険物の安全管理、②爆発などの事故対応、③有害化学物質の監視と管理、④健康傷害の予防などに関することです。


ケース4 ヒ素   半導体製造会社
いくつかの半導体製造会社から

ヒ素を扱う作業者の毛髪と尿の無機ヒ素の測定をお願いしたい。費用、方法も知りたい

と相談されました。
料金等をFAXしたところ、e-mailで測定が依頼されました。検体採取方法などをe-mailし、容器を宅配便で送付し、検査は誘導結合プラズマ質量分析装置という最新の分析機器にて行いました。
その後、定期的に測定依頼があり、その測定結果に関連して資料・文献を示し、コメントしています。
作業の責任者や作業者自身を含めて、“自社で取り扱う物質の性質について知ろう”という熱心な姿勢が感じられ、こちらとしてもやりがいのある事例です。

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ケース5 ホスゲン  ソーダ工場
ソーダ工場でホスゲンの漏出事故が起こり、

2名がばく露し、産業医である近医に搬送されたが、うち1名が11/1に脳うっ血が出現し、11/3脳死状態となり、11/20に死亡した。他の1名は数日間で回復した。事故の予防と事故時の処置について、できればセンターへ伺って相談したい。他にも塩素、硫化水素、アクリロニトリル等を使用している

と相談がはいりました。
文献調査して報告しますと、さらに問い合わせがあり、環境品質管理部の方が来所された。こちらの送付した資料を英文にいたるまでよく読まれてチェックされていました。
その工場では昭和42年にも事故により1名が死亡しており、この教訓が生かされなかったことをとても気にかけておられた。今回死亡した人は現場主任で、長く現場にいた可能性があるかもしれないという。
①ホスゲンの毒性を皆に周知すること、②事故の際はまず身の安全をはかることの重要性と、③産業医の方にもよく連絡しておくこと、④緊急時のマニュアル作成などの助言を行いました。

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ケース6 ダイオキシン  ゴミ処理工場、焼却工場
自治体などから、ゴミ処理工場解体工事にともなう健康診断方法、特にダイオキシン検査などについての問い合わせが相次いでいます。
その都度、作業者のダイオキシン健診(診察、生化学、免疫、職歴調査等を含めた血中ダイオキシン測定)の価格は一人当たり30万円程度と高額で、採血量も60~100mlと多いことを説明して、健診と検査の可能な機関を紹介しています。
 作業者個人からの問い合わせも多く、①現在、厚生労働省で全国調査を行っていること、②個人で行うには費用の負担が大変なこと、を説明しています。

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3 医療機関からの相談
 産業現場で化学物質に関連する中毒が発生して、大学病院など高度な設備を備えた医療機関に収容された場合でも、産業中毒を見慣れているわけではないので、①その検査方法や処置が分からない、②通常の検査では原因がつかめない、と診断に時間のかかることがしばしばあります。
また、一般疾病と同様な臓器症状を呈していても、それが作業(化学物質)と関連があるのか否かで判断に苦しむ医師も少なくありません。
この場合、症状がはっきりと捉えられており、血液や尿などの試料があるので因果関係の解明がしやすいものの、作業現場の資材や環境試料などまでは得られないことが多いのです。

ケース7 臭化メチル  燻蒸作業に従事していた作業者
 臭化メチル、シアンなどを使用する燻蒸作業に従事していた作業者に関して、平成11年7月、臭化メチル中毒の疑いで某大学病院より問い合わせがあり、情報提供を求められました。
産業中毒センターの業績集である“産業中毒の半世紀”より該当部分(全28頁)を送付しました。さらにMedline、Toxiline、産業中毒データベース(当センターが開発し、約50年間の産業中毒に関する治療と研究報告を2000例以上収集 http://wsys.rofuku.go.jp)から関連情報をプリントアウトし、“化学物質取扱業務の健康管理”、その他一般の中毒関連の書籍等も提供しました。
 その結果、患者は当センターに転院して、中毒外来にて診察と問診がなされ、神経内科、リハビリ科と連携した治療が行われています。
受診当時、患者に歩行困難、下肢の異常感覚などの症状がみられましたが、リハビリ(筋力強化とバランス訓練)と高圧酸素療法を行った結果、重心動揺試験成績などが改善され、徐々に歩行能力も回復して約1ヶ月後には退院となりました。今は、外来通院で高圧酸素療法を続けています。
 この事例については、労働基準監督署からも中毒関連の資料の請求があり、上記資料を提供しました。

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ケース8 アセトニトリル  反応釜を洗う作業をしていた作業者
化学工場で80%アセトニトリルにより反応釜を洗う作業をしていた作業者について、ある公立病院から

本来は防御服を着用して行うが、今回はカッパ、長靴、防護マスクのみで2日以上作業した。作業後に意識障害、痙攣、横紋筋融解、腎不全をきたす。中毒の疑い。血清を送付するので定量検査をお願いしたい

と依頼がありました。
工夫しながら検査した結果、チオシアン(アセトニトリルを含むシアン化合物の代謝物)とアセトニトリルが高濃度で検出されました。アセトニトリルは広く使われていて、比較的低毒性と考えられていましたが、使用方法によって重篤な中毒を発症することが分かり、その検査方法の確立に役立った非常に貴重な症例でした。

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ケース9 トリクロルエチレン  金属の脱脂・洗浄をしていた作業者

トリクロルエチレン(有機溶剤)を金属の脱脂・洗浄に使用している工場で、作業環境測定結果が管理区分3(作業環境測定法による)となり、作業者の溶剤ばく露量の検査、工場の環境改善についてお伺いしたい

との相談が某健診機関からありました。
この工場は100m2程度の作業場に洗浄装置を2台設置し、その周囲で5、6人が作業をしていました。個人ばく露濃度の測定では、60ppmから500ppmを超える値が5人の作業者で得られました。生物学的モニタリング(化学物質のばく露量を評価するために、定期的に尿中、血中濃度を検査すること)で尿中総三塩化物濃度が1000mg/g(クレアチニン)を超す人もいました。
この原因は、通常の洗浄作業以外に、洗浄溶剤のトリクロルエチレンを使って手や作業衣を洗ったり、床を洗浄したこともあげられます。
問診では、作業者全員が「作業中に酔った感じがする」等の急性中毒症状を訴えていました。さらに、慢性中毒症状として、眼精疲労や頭重、焦燥感、倦怠感、耳鳴りなどの神経症状を訴える作業者が多くみられました。現在では作業環境の改善が行われています。
手動で塩素系溶剤を用いて洗浄作業を行う、このような中小の洗浄工場では、洗浄槽に顔を近づける作業で高濃度ばく露もあり、中毒発症の危険のあるところです。洗浄槽への転落事故による死亡例の報告もあり、注意すべき業種です。
最近でも、医療機関からトリクロルエチレン、テトラクロルエチレンなどの塩素系有機溶剤のばく露による神経症状や、クリーニング業などで働く人たちの健康障害と有機溶剤の因果関係を知りたいとの理由で、文献を請求されることがあります。

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4 保健所など公的機関からの情報提供の依頼

ケース10 ペンキ  塗装業者
ある産業保健推進センターから

塗装業者でペンキによるぜんそく発症があり、労働基準監督署より調査依頼があった。8種類のMSDS(化学物質等安全データシート)を送付するので、これについての中毒情報がほしい

との相談がありました。
送付されたなかでは、ヘキサンジイソシアネートが喘息をおこす可能性のあるもので、これについての詳しい文献(英文も含む)をFAXしました。

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ケース11 農薬  植木職人
他の産保センターからは、

植木屋さんで有機リン農薬を使用しているが、定期検査や特殊検査はどのようにするのか

などの相談もありました。これは今後の課題です。

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ケース12 工場排水  地下水汚染
 岐阜県の保健所からの

工場からの廃水で地下水汚染があり、テトラクロルエチレンが50ppb程度検出された(当該物質の地下水・水道水の環境基準は0.01ppm=10ppb)。今後、健診と尿検査を実施したいが専門病院を紹介してほしい

との問い合わせに対し、「旭、中部各労災病院で健診、尿中代謝物の測定が可能だが、必要ならば当センターにて、診察、検査結果の評価にも対応できる」と回答しました。

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5 発展途上国からの相談と検査依頼(国際協力)
発展途上国では、公害問題とともに産業中毒の面でも日本より深刻な状態にあり、産業中毒センターに多くの相談が寄せられ、解決に協力しています。そのうちの幾つかを紹介します。

ケース13 セロソルブ類  韓国の造船塗装工場、中国の印刷工場
韓国の造船塗装工場から、

作業者の白血球数と顆粒球数が低下し、使用しているセロソルブ(有機溶剤)との因果関係を明らかにする目的で検査を実施してほしい

との依頼がありました。
検査の結果、塗装作業者から高濃度の尿中代謝物が検出され、体内へのセロソルブの吸収の大きいことが判明しました。
 中国からは

セロソルブを印刷工場で広く使用していて、高濃度の暴露が推定される。これらの作業者にこの有機溶剤がどの程度吸収されているか検査してほしい

との相談がありました。
印刷所の作業者は、赤血球、白血球、Hb濃度の異常率が高く、男性の生殖器影響(精子数・運動性・生存率の低下、形態異常)が調べられていました。これら作業者の尿中のセロソルブ代謝物を測定したところ、100ppm以上と極めて高濃度のばく露が確認され、慢性中毒が証明されました。

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ケース14 イソシアネート類  中国のウレタン樹脂製造工場
 中国から

ウレタン樹脂の原料を製造する工場で、イソシアネート(特定化学物質)によるぜんそくやアレルギーが多く発生しているので、その代謝物の検査法があるか

と相談されました。
早速、その測定法を開発して検査したところ、ここでも極めて高濃度の代謝物が尿中に検証されて、作業環境の改善と健康管理の対策が立てられことになりました。

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ケース15 マンガン中毒  韓国との中毒予防のためのばく露指標の開発
 韓国から

溶接作業者の中にマンガン(特定化学物質)中毒が発生し、また、漢方薬服用によるマンガン中毒の疑いのある患者もおり、その検査法について知りたい

と相談を受けています。マンガン中毒は、パーキンソン症状との鑑別のためにも、特異的な検査法の開発が急がれます。
さらに、溶接作業者の健康調査を、現在、韓国のウルサン大学病院と当センターとで共同して検討を開始しています。
また、最近は水銀中毒の検査測定の依頼もあります。

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6 産業中毒の予防と今後の課題
有害化学物質を取り扱う会社では、労働安全衛生法に基づき、多くの規則で中毒発生の防止策がとられることとなっています。
はっきりとした症状が見られなくとも、特別な検査をすれば初期の影響が見つかることもあり、この時点までに中毒予防対策がとられることが重症化を防ぐために重要です。 
 産業中毒は従来型のものばかりでなく、技術の進歩にともなって新たなものも発生しています。これに対応するには、これまでの蓄積したデータの活用と合わせて、診療と分析に関する研究開発も進めることが今後ますます重要な課題となります。

さらに、データベースと情報ネットワークの構築による内外の多くの関連機関との共同活動が産業中毒の予防と診療に欠かせません。
事例紹介
 大メーカで製造された塗料を個々のユーザーの用途に応じた色調に調合する工場の例を示します。
このような工場では、塗料の調合に当って、トルエン、キシレン、ブタノール、酢酸エステル類、セロソルブなどの有機溶剤が多用されています。この作業所では、容器の洗浄などにも多量の溶剤が使用されていて、作業所内に高濃度で広がる恐れがあります。
これを防ぐには局所排気装置を使用するとともに、防毒マスクの使用が必要です。


産業中毒センターの紹介

 東京労災病院 産業中毒センターでは、中毒診療部、研究分析部、中毒情報部の3部門を設置して、統合した活動を行っています。
これまで、中毒臨床部門では75名の患者(入院、外来とも)を受け入れています。現在検査可能な物質は、重金属、有機溶剤を中心に60項目以上にわたります(一部を表1に)。
 これまで当センターに相談のあった化学物質は、70種以上にのぼり(表2)、依頼元の機関を図1、2に示します。
現在実施している特殊検査
問い合わせ物質名


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